とんちゃんといっしょ

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父について書いてみる

なんか、本日は父に関する話が多いので父について書いてみる。


私の中では父は短気で頑固。
あと、酒と野球が好き。


関西のいいとこの大学を出た後、警察学校を卒業したらしいがなぜか魚市勤務。
大学時代は学生運動に参加してたとかで、父の友達*1曰く、「あの頃は、お前のおっちゃんはポリに石投げてたぞwww」とか。
まぁ、やっててもおかしくないと思ってしまう。
あと、会社では労働組合のトップになって社長辞めさせたり、出張で行った名古屋のぼったくりバーでヤクザと喧嘩して勝利したらしい。
この他にもあまりに逸話が多すぎるので、家族一同なるべく逆らわないようにしている。
おかげさまで、反抗期に父と殴り合いなんていうイベントが発生しなかったのでこれからもないと思う。


上でも述べたように魚市で働いているので、夜中に出勤して*2昼ごろに帰ってくる。
今年定年退職して、再雇用で働いているらしく本人的には非管理職になって幸せらしい。
へんなデスクワークが減ったとかで定年前は14時ごろだったのが最近は10時ぐらいに帰ってくる。
おかげで、寝ている私を起こして人間らしい生活をしろとよく怒る。
しかし、本人は仕事から帰ってきて昼間から酒飲んでるからそっちも人間としてどうよと常々思う。


あと、私が中学校の2年の春ぐらいから中学野球のコーチをしている。
ちなみに、1年上の先輩たちからはそれが原因で息子の私がだいぶ嫌われた。
まぁ、私も嫌いだったのでおあいこなんだけどな。


父の指導は手こそ出ないけど警察学校式というかスパルタ式で、練習中に罰として走らされていた。
クラブのメンバーたちとは「俺たち軍隊だっけ?野球部だっけ?」と笑ってはグランドを走ってた。
私の代はそこそこ強くなった程度だったが、次の代では部外者指導者として正式に登録され監督になった。


私の次の代ぐらいから、地区の大会で優勝するようになり、監督になって3年目ぐらいで府下大会とか出るようになってた。
私は父が高校の野球部に来そうなのと監督が嫌で、高校では野球をしなかったが、たまーに中学校に顔を出して練習を手伝うことはしてた。
野球をしてれば機嫌がいいので、このまま監督を続けてくれたら家庭も平和だと思ってた。


大学に入って6月ぐらいに、朝起きたら父がいた。
会社に行かずに横になってテレビを見ている。
次の日もその次の日もそんな感じ。
どうも体の調子が悪いらしい。


その次の日も休むみたいで、ついに母が病院へ行かせることに。
本人は病院嫌いで行きたくないらしいが、あまりにおかしいので医者に診てもらうことに。
1人で車で近くの大学病院まで行って医者に診てもらったら医者がびびったらしい。
大学から家に帰ったら母から父が入院したと聞かされた。
なんでも脳梗塞だったとか。


最初に会社を休んだ日から手足の感覚がおかしくて、車の運転ができなかったらしい。
病院にいった日はそのときよりましだったらしいが、医者には「動けるはずない」とか言われたとか。
その後の検査で、血栓が詰まった場所がよかったのと詰まったのが一時的だったことがわかる。
おかげで、たいしたことにならずに2週間ぐらいの入院で退院してきたと思う。


その後は、リハビリを1年ぐらいと毎月の検査をして薬を毎日飲んでる。
入院した次の年ぐらいから、中学野球の指導を再開したけど監督は辞めたらしい。


そして、脳梗塞が何の影響を与えたか知らんけど性格が少し丸くなった。
あの軍隊式だった野球の指導が一人一人の長所を伸ばして育てるという褒めて伸ばす式になってたり、
連帯責任で全員でグラウンド走らせたりスクワットさせたりしなくなってた。
家でも前は言っても聞く耳持たずだったのが、少し話を聞くようになった。
んー、入院とか通院とか薬代とかかかるけど意外と詰まってみるもんなのかもしれん。


そして、気がつきゃあれから5年ぐらい経ったらしい。
今もコーチとして野球を教えてるし、当時禁酒させられてたのがうそみたいに毎晩飲んでる。
挙句の果ては60歳でテレビデビューwww


世間の規格からはかなり外れてる気がするけどわりと面白いからいいかなと思う。
でも、「もう1回この父に育てられたいか?」と聞かれたら「びみょー」って答えると思う。

*1:花屋で息子が私と同じ大学の同じ研究科でM2やってる

*2:これ書いてる1時間前には出勤してる