とんちゃんといっしょ

Cloudに関する技術とか日常とかについて書いたり書かなかったり

あれほどアホを出すなといったのに

やったねたえちゃん!
いいところにXXすると○○できるらしいよ!


XX課にはこないだ行ったときに
「学部卒の奴が開発演習において文系より使えないって状況がこの学校の実態です。
 カリキュラムを変えるなりできないのを○○させないのが懸命ですよ、いやマジで」
って言ったんだけど効果なんてなかったらしい。


むしろXX課が○○できるように圧力かけた説が濃厚らしい。
やるなら全員にやるぐらいの根性見せろ。
いいとこにXXするから○○できるように手を回すとかアホを送り出したら、
後で自分たちが恥をかくことを考えろと。


なんかこういうこと言うと「おまえはできるからいいけど」とか
「できるからそんなことが言えるんだ」とかふざけんなっつーの。


できる方法を覚えるのにどんだけ苦労したか分かってから言えってんだ。


こっちはできるまでやってるんだからできなきゃおかしいんだよ。
できる奴とか言って諦める前にやることやってから言え。


なんか同期からも扱いがそういう空気でなんか微妙。
最初からできるんじゃなくて今までにやってきたからできるんだって。


努力してもできないって言ってる奴はそれは無駄な努力してることにさっさと気づくべき。


手っ取り早いのはできる人の真似をすること。
あとはそれを自分なりに昇華して自分にあった形にするだけ。
そのためには観察力と洞察力と自己理解が必要。


そういったことを大学の間で学んで社会に出てくればいいものを、
本当に遊ぶことに一生懸命で出てきたら使えないアホですよ。


うちのアホ学部生よりも文系の方ができる理由を開発演習の中で観察と考察をしていたけど、
根本的なところは自己理解と観察力で差が出ていたと思う。


文系の方は自分ができないことを理解して何ができていなくてどうすればいいかを自分で考えていたけど、
うちのアホ学部生はできない理由は「なぜかできない」ぐらいで理由も分からないし、
なぜできないかがわからないからどうすればいいかがわからない。


結果的に最終日の開発知識に関する試験でグループ最低点を取ったのはうちのアホ学部生。


うちの学校はもっと学生に自分たちができないことを教えて、
その上で「なんで自分ができないか」と「どうすればできるのか」を考えさせるべき。


それさえできれば後は分からないことにぶち当たっても、
放っておいても勝手に自分で考えて自分で解決しようとするんだから。


知識と知恵の違いがあるように勉強できる人が賢いんじゃない。
勉強したことを活かせる人が賢いんだ。


というわけで、全部が全部できない学生とは言わないけど、
うちの学校は学生に現実を見せてもっと考えさせた方がいいと思う。


社会人になっても学校に対してこんな文章書いてるとか情熱的だな。
しかも一部の関係者が読んでくれると信じて書いてるあたりがどうしようもない。


10年ぐらい経ってもこの情熱があったら学校教育に携わるのもありだな。
まぁ、10年後には繋がりがまったくないから情報が入ってこないので大丈夫だと思う。